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砂を数える
¥7,150
土田ヒロミ写真集「砂を数える」 1990年2月発行 写真集のみ(カバー汚れ有) 6,500円(税別) 上製本/写真73点 サイズ 347x266x15mm 1960年代の高度成長経済を経験したニッポン人は,地方から都市に集中し,大衆社会の表面に登場してくる。 それからおよそ10年後、ニッポン人はまぎれもない大衆となっていた。都市は,その性格上、毎日がハレのようである。 このハレの日には,埋め込まれたDNAのせいで、とにかく群れた。 この1975年からの10年間の圧倒的な群れを砂として記録したのが、『砂を数える』である。都市にあって群れるのは、都市共同体の一員であることを確認することでもあったのだ。
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SNOWY
¥3,850
萩原義弘写真集「SNOWY」 2008年1月発行 3,500円+税 上製本/写真81点 サイズ 228×307×18mm この写真集の撮影地は、北海道の炭鉱跡、東北の松尾鉱山跡,飛騨の神岡鉱山跡である。 これらの鉱山は、かつて石炭や貴重鉱物資源の採掘地として日本有数のものであった。 いま日本には、かつての栄華の跡をとどめる鉱山跡が各地にある。 ほとんどの鉱山跡は、ひと里離れた山中にあって、訪れる人もなく、住居跡や施設跡がそのままの姿をとどめている。 山中の冬はひとしお厳しい。写真家は、冬の鉱山跡を訪れているうちに、人の暮らしの残影に降り積もる雪の美しさにわれを忘れたのである。 それは、たんに造形的に美しいだけではなく、人がかつてそこに暮らし、それもそう遠くないころの賑わいをわずかに伝える。 これらのぬくもりのカケラの多くが、写真家をこの地に招いたのである。
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カミサマホトケサマ国東半島
¥4,070
3,700円+税 2017年9月中旬発行 上製本/カラー写真119点 菊判ハードカバー(200×225mm) 2023年に第42回土門拳賞を受賞した作家・船尾修氏が国東半島(大分県)で出会ったさまざまな祭礼の様子を集めた写真集。怪しげなお面を被った白装束の男たちや松明に灯された真っ赤な炎の写真を前に、やがて我々の精神も幽玄な世界へと誘い込まれていくーー。「この国東という半島には日本人がこれまで生きてきた古い時代の心の記憶がそっくりそのまま受け継がれているのではないだろうか」。船尾氏がそう感じ、今もこの半島に暮らしながら写真を撮り続ける理由が、この一冊に詰まっている。(出版社コメント)
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神々の残映
¥3,300
吉田元写真集「神々の残映」 2006年10月発行 3,000円+税 上製本/写真49点 サイズ 264x258x15mm 北海道、沖縄などの自然風土の中で写真を撮り続け、 2005年4月に亡くなった吉田元の遺作集。1963年に約70日間滞在した沖縄八重山諸島での写真。
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フィリピン残留日本人
¥4,950
船尾修写真集「フィリピン残留日本人」 2015年12月発行 4,500円+税 上製本/モノクロ写真116点 サイズ 200×225×16mm / 1080g この写真集は、異国の地で「あたし、日本人なんて大嫌いよ」と声をかけられたことから始まった。 2008年、フィリピンのキアンガン、という街でのことだった。 第二次世界対戦以前(アメリカの植民地時代)から、フィリピンには多くの日本人が労働者として住んでいた。 「日本人なんて大嫌い」。そう言った彼女は、この街で、戦争に翻弄されたフィリピン人と日本人が憎しみあった過去を知っていたのだ。 戦争を経て、今もなお、その日本人の2世、3世がフィリピンに暮らしていることを知り、カメラを持って取材をすることにした。 7年におよぶ取材で見えてきたものは、常に勝者の視線から語られる歴史では忘れられてきた、残留日本人、一人ひとりの物語だった。敗戦まぢかに成った日本軍が山深い山間地に逃げ込む。その山間地には交通の便 もなく、ある時は徒歩で数日をかけて山間地に入り、現地に泊まり2世、3世の人々を捜し求めさらに長い時間を かけて話を聞き取材した。 これは、日本と深い関係にありながら、多くの日本人が知らないフィリピン残留日本人のこと、そして彼らの想いと表情に向き合った写真集である。写真集の巻末には取材してきた2世、3世の言葉も綴っている。
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SNOWYⅡ
¥4,400
萩原義弘写真集「SNOWYⅡ」 2014年9月発行 4,000円+税 上製本/写真70点 サイズ 310×240×20mm 冬場の天気は変わりやすい。夜、月明りで撮影していると、急に曇ったり、雪が降ってきたりする。長時間露光の間に目まぐるしく変わる気象条件も加わり、それが1枚の作品となる。遠くからシカやフクロウの鳴き声が聞こえ、時にはキツネやタヌキが近くを歩いているのに気が付く。そして、自分自身の存在自体が自然と一体化していくように感じられる。 被写体と対峙していると施設の跡や主のいない炭鉱住宅が賑やかだった頃が脳裏に浮かんでは消えていく。私は、炭鉱や鉱山跡を廃墟だとは思っていない。人々が去り、たとえ朽ち果てようとしていても、そこには人々の存在が残っていると思う。人の記憶は次第に薄れ、やがてなくなってしまうだろう。しかし、撮影し作品化することで、少しでもその記憶や存在を留めることができるのではないだろうか。そして、日本の近代化や戦後復興に貢献してきた産業の証として後世に伝えることができると思う。 春の訪れと共に消え去る一冬限りの風変わりな光景。私が撮影しなければ、もう二度と見ることができない風景でもある。
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Bloody Moon
¥3,520
野村恵子写真集「Bloody Moon」 2006年9月発行 3,200円+税 上製本/写真60点 サイズ 232×207×13mm 本書は、写真家の追い求める4つの心象を構成して出来上がったものである。 その4つは、それぞれが独自の響きを持ちつつも、全体として共鳴しあって一つの楽曲となってこの写真集になっている。 写真家の心象とは、イメージでいくら描いてもできない想念のとらえがたさであったり、みずからのルーツは遥かな時間のなかにあることの確認であったり、私という存在の不分明さであったり、なくなった知人を回想するなかで出会った自然との関係性が見えてくることであった。 ひとことでいえば、写真家がとらえようとしてとらえがたい心象をこの時点で構成し、ひとつのこたえとしたのがこの写真集といえるだろう。 この写真集の撮影場所が、南インド、ハワイ、大阪,沖縄、奄美、東京、神奈川,台湾、バリ、福井であることは,格別な意味があるとも、あるいはそうでないともいえるものである。 写真家にとって初めそこが選ばれたのは必然であっても,最終的には、そうしたことは後景に退くような構成の結果となっている。 写真家にとって、とらえがたい心象を表現していくには、それは必要な方法だった。
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沁みる太陽
¥2,095
田中亜紀写真集「沁みる太陽」 2007年6月発行 1,905円+税 上製本/写真42点 サイズ 155x230x9mm この写真集からあふれるのは、太陽光に射ぬかれた抽象化された植物であり、それらを包み込んで漂う大気の層の多彩さであるだろう. 写真家は、あとがきで目に見えない「香り、音色、ぬくもり、苦しみ、喜び、悲しみ、不安、痛み、優しさ、気持ちよさ、記憶、希望、そして目眩いがするような何か」を写真にしたいといっている。 これらのリアルではない、想念の姿を写真として表現するのは、難しいことである。 ほとんど不可能である。 しかし、なにものかに仮託して、それらの想念を代替することはできる。 作家にとってそれは、植物と大気の層であるが、写真になるともはやそれらの原型は消え失せていき、イマジネーションが広がっていくという陳腐な印象を超えていく気配すらある。
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1970 年代NIPPON
¥5,500
北井一夫写真集「1970 年代NIPPON」 2001年6月発行 5,000円+税 並製本/228頁 サイズ 185x245x23mm 本書は、『村へ』の決定版である.『村へ』は、1976年、アサヒカメラ別冊として、1980年、淡交社版として二度出版されているが、どちらも1974年から77年までアサヒカメラで連載された「村へ」「そして村へ」を中心に編集されたものである。 本書は、それらにくわえて、73年から81年まで撮影された2545本のネガの中から新しく作家によって選び直され,再編集されたものである。 本書には,70年代の日本の農村の普通の人たちの普通の生活が記録されており、今では、日本のどこへ行っても見ることはできない貴重なものである。 また、アサヒカメラ別冊、淡交社版は古書でも購いがたく,本書の刊行はかつての読者にも,新しい読者にも『村へ』の全貌を伺い知ることの出来る写真集と評価されている。
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Nepal Is Calling
¥8,000
D.J.ヒンマン写真集「Nepal Is Calling ネパールからのたより」 7,273円+税 2022年10月発行 モノクロ写真100点 総ページ数112頁 2016年から2019年にネパールで撮影された2作目となる写真集。 アジア諸国を旅し”市場”から人々の暮らしを捉え直した1作目写真集「ICHIBA アジア市場を探歩する」(2021年 冬青社刊)に対して、本作は愛してやまないネパールに深化し、文化の大きく異なる地域ごとに4つの章から形成されています。繰り返し鳴り響く内なるネパールの呼び声に、撮ることで応答した意欲作。作家が魅了された混沌の世界へと見るものをいざなうでしょう。
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ゆ場
¥4,700
柳原美咲写真集「ゆ場」 4,273円+税 2022年8月発行 カラー写真86点 総ページ数96頁 柳原美咲 1991 年群馬県生まれ。写真家。 日本各地を旅して、湯のある景色とそこで出会った人々を撮影する。 2022年キヤノンギャラリー銀座・大阪にて写真展「ゆ場」を開催。
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KANYADA
¥3,080
カンヤダ写真集「KANYADA」 2,800円+税 2022年2月発行 総ページ数61頁 Kanyada Phatan(カンヤダ・プラテン) 写真家。スタジオジブリが日本で発行している月刊小冊子『熱風』にて、「From Pak Thong Chai」を連載中。毎月一枚の写真と詩を寄稿している。著書に『ジブリ美術館ものがたり』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、共著書に『どこから来たのか どこへ行くのか ゴロウは?』(徳間書店)、『ジブリの鈴木さんに聞いた仕事の名言。』(KADOKAWA)がある。
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長江 六千三百公里をゆく
¥4,950
竹田武史写真集「長江 六千三百公里をゆく」 4,500円+税 2021年9月発行 菊判上製本/モノクロ写真133点 総ページ数160頁
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Water Jazz
¥4,180
浅井愼平写真集「Water Jazz」 2011年10月発行 3,800円+税 上製本/写真30点 サイズ 298x298x12mm 晴れた日に永遠が見える ON A CLEAR DAY YOU CAN SEE FOREVER 水が揺れているのを見つめていると、こころも揺れる。 もし、写真を撮るすべを知らなかったら、水の情景をどんな想いで見つめるのだろうか。けれども鴨長明の例をあげるまでもなく、人は水を見つめ、いのちに想いを馳せてきた。物理学では放たれた矢も静止しているのだという。そうであるなら、流れ、揺れる水も静止しながら連続しているということになる。けれども人には矢も水も走り、流れて見える。映画は一秒間に二十四コマのスチールを動かすことで動画をつくり出す。人の目はその程度によく出来ている。見え過ぎず、見えなさ過ぎず。このバランスの良さは神業だ。
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パリのエトランジェ
¥5,500
浅野光代写真集「パリのエトランジェ」 2000年12月発行 5,000円+税 上製本/写真90点 サイズ A4変型 パリに長年住み、パリの下町を愛し、パリに集まった世界中の人々を写したドキュメント写真集。風景と共に人々の 営みまでも収めた目線は、とても自然であたたかい。
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戦争はなぜ起こるのか—石川文洋のアフガニスタン
¥2,750
石川文洋写真集「戦争はなぜ起こるのか—石川文洋のアフガニスタン」 2004年3月発行 2,500円+税 家を失った人々の苦労、地雷や不発弾で傷ついた子どもたち。多くの人々を不幸にする戦争。そして、平和を願う民 間人の強い願望とたくましさ…。35日間にわたってアフガニスタンを取材した写真集。取材日記も付す。
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うらうへ
¥5,238
市川恵美写真集「うらうへ」 2010年3月発行 4,762円+税 上製本/写真72点 サイズ A5横判 瀬戸内海の海辺の町で育ったせいか、「水」に惹かれる。 来し方に耳を澄ますとき、水の音を聴くことがある。 どこから流れ出たものか、行く末を見極めたい衝動に駆られる。 タイトルの「うらうへ」は裏表。 水が映しだすものの裏には歴史があり人生がある。 「人生とは」と考える時、それは時空の軌跡であり、出会いはその一点での奇跡的な交わりであり偶然がそれを決定する。 偶然でありながら必然と感じる気持ちを水に託して表現した。
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標準温度
¥2,750
伊藤昌世写真集「標準温度」 2013年8月発行 2,500円+税 上製本/写真32点 サイズ 259x259x12mm 「お嬢さん、“無常迅速”という言葉を知っているかね。」 表参道の同潤会アパートの一室での会話だった。「よく存じません。」と応えると、半世紀の間そこに、そして今は独り暮している、こともなげに扉を開けて私を迎え入れた82歳になる老人は、言葉の意味を静かに丁寧に語り聞かせてくれるのだった。素朴な交感を妨げるいかなる要因もそこにはなく、そのひと言ひと言に耳を傾けながら、老人の過ごしてきた時代と残された時間に思いを巡らせ、私は言いようのない気持ちに襲われていた。 果物を肴に湯で割った焼酎を夜毎一杯ずつ飲むのが習慣なのだと、少し楽しそうに切り分けたグレープフルーツをつまみながら話す、そのグラスが空になるころ仏壇のある隣室で写真を写させてもらう…だが、その写真には何かが足りなかった。 数度目の訪問の帰途、玄関を暇(いとま)してアパートの階段を降りていると、中年夫妻と成人した子息・息女という四人の家族連れとすれ違う。はっとして訊ねてみると老人の親族とのことだった。祈った不意打ちに慄きながら再び老人の元へと戻ると…そこには時間が、写真が満ちていた。
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日常の知覚
¥5,280
井上尚久写真集「日常の知覚」 2014年3月発行 4,800円+税 上製本/写真137点 サイズ 250×313×22mm 私たちは、視野に広がる三次元の対象について五感をもとに感じることができる。 五感をもとに感じるということは、目の前にある日常空間を人それぞれが独自に知覚することを意味する。 この世界を形づくるすべての“もの”や“こと”が人々の知覚によって存在するのである。 広さ、高さ、深さ、距離、速さ、熱さ、硬さ… 私たちが知覚する物理量は本当に不変なのか。 現代ほど、この問いに向き合うことが求められる時代はない。 バーチャルリアリティは、人間の脳の本質を暴いていく。 社会は日常のあらゆることを複雑により複雑に関連づけ、私たちがあたりまえと思っている日常が揺らぎ始めるとき、世界はカオスへと向かっていく。 ここにある日常を写した写真群は、本当の世界なのか…
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天山南路
¥1,650
今岡昌子写真集「天山南路」 2005年11月発行 1,500円+税 並製本/写真109点 サイズ 152×180×10mm 気楽に行けそうで、実際はそうではなくなった土地というのも、いまでは少なくなったが、それでもシルクロードはまだまだ,簡単に行けるところではない。 この写真集は、ヒョンなことから行くことになった「シルクロード6000kmの旅」の集大成である。 小さくコンパクトにまとめられているとはいえ,取材時間は当初の5倍もかかったという。 それは、ひとえにこの土地が魅力的だったからであり、そのためにも通り一遍の取材で済ますことが出来なかったからである。 予算が許せば、もっと大判でページのたくさん取れる本にしたかったのだろうが,そうでなくとも,この土地に暮らす人たちが、たくましく、のんびり暮らしていることがよくわかる。 取材は,2004年から05年にかけてのものだが、それからわずかしかたっていないにもかかわらず、今日では,この辺境の地でも,都市かにむけて大きく変化していることを思うと、この記録は貴重だ。 何か,ニッポン人とは何かを考えるきっかけになるだろう。
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箱庭の窓
¥3,300
井本礼子写真集「箱庭の窓」 2012年10月発行 3,000円+税 上製本/写真51点 サイズ 253x259x15mm 静かな庭園 秘かな永遠 目尻の隅には 開いて閉じた パンドラの箱 静かな庭園 密かな経験 夢見の窓には 眺めて隠した 現の古鍵 静かな庭園 秘かな楽園 壊れて治した 遥かな永遠 まどろみ たゆたう 夜明けの箱庭
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CUBA
¥3,850
井本礼子写真集「CUBA」 2015年7月中旬発行 3,500円+税 上製本/写真75点 サイズ 200x265x15mm 世の中には、現状に満足し、日々淡々と生き切れる人と、それとは逆に、ここではない遠い何処かに「居場所」を夢見て止まない人がいる。同じ環境に育った兄弟姉妹にもこの二種類の人間が存在し、両者の物の見方や考え方は似ても似つかない場合がある。何故だろう?そして、人にとって幸福とは何だろう?ベルギーの作家メーテルリンクの『青い鳥』の結びは、「幸せの青い鳥はお家の中にいました。」だった。「幸せはどこか遠い所ではなく、あなたの心の中にいつもある。」というメッセージの物語だ。それは真実かもしれない。しかしそれでも尚、「遥か向こうの何処かには、きっと何か良い事が待っている。」という期待を掻き消せない人々がいる。規則や制限が厳しい環境に育ったならば、尚更の事。 2014年2月、私はキューバに滞在し、現地の人々と会話する機会を多く得た。キューバはカリブ海の島国で、社会主義国である。政府から許可を得た、ごく僅かな国民だけが海を越える事ができる。キューバの教育・社会福祉政策は充実しており、教育費、医療費は全国民に対し無料である。食料危機でも起きない限り、毎日の食材は皆に保証されている。だがそれでも尚、ある種の人々は海の向こうに希望を抱く。私がこの滞在で一番考えさせられた事は、人にとって「居場所とは? 幸せとは?」という事だった。その答えは、人それぞれであるのだが、どういうわけか、幸せの在処を巡る「青い鳥」の物語が、私達の頭から離れないでいる。たとえ青い鳥が何処に居ようとも、人はその居場所を自分の目で確かめてみたいだけなのかもしれない。 2014年12月17日、「アメリカとキューバが、54年振りの国交正常化に向け交渉を開始する」というニュースが世界中に流れた。この協議がスムーズに進めば、今後、キューバの生活環境は確実に変わってゆくに違いない。現在の社会主義のあり方がどのように変化していくのかは未知であるが、仮に、キューバの人々が自由意志で青い鳥を探せるような日がやってくるならば、幸せを巡る物語は、ようやく「本当の始まり」を迎えることになるのであろう。
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退く
¥3,080
岩本悟写真集「退く」 2012年1月発行 2,800円+税 上製本/写真モノクロ46点 サイズ 238x207x12mm ある冬の寒い日、僕は静岡の山間にいた。着いたのは夜10時。月の出から朝日が昇まで、夜を徹して行われる50番もの能演日はすでに始まっていて、見物客もまばらにいた。たんたんと演目が続くなか、ふとストロボを持ってきていないことに気付く。やや疲れていることもあって、写真は撮らずに舞台から少し離れた場所に腰掛け、鳴り響く太鼓と笛の音だけをただ聴いていた。しばらくすると、寒さで手足が悴んできて、座っていられなくなった。舞台のそばに松明が焚かれていて、見物客はみなそこに集まっている。僕も体を暖めるためにできるだけ近づく。すると今度は、顔が焼けるように熱くなり、それ以上近づけなくなる。熱さと寒さの間に自分の体があって、身動きがとれなくなった。同じような感覚は、神事や民族行事などを他の場所で撮影する場合にもあって、あの夜、燃え盛る松明と舞台のすぐそばまで一歩を踏み出せなかったように、いつだって被写体との距離は一定で容易に近づくことはできない。 ただ、この静岡での撮影が僕の中で特別な旅となったことは間違いない。これまでの撮影では感じることのできなかったものがそこには確かにあった。姿はない。姿はないが、それはすぐそばにあり、他者と自分とが一つになろうとする空間だった。
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OIL 2006
¥3,850
上本ひとし写真集「OIL 2006」 2007年6月発行 3,500円+税 上製本/写真69点 サイズ 268×260×12mm 著者が暮らす瀬戸内海沿岸のコンビナートの街、周南 工場地帯(徳島)で撮影された写真群。