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THE DAY AFTER
¥2,750
金瀬胖写真集「THE DAY AFTER」 2004年12月発行 2,500円+税 上製本/写真65点 サイズ A5判 1999年9月30日の東海村JCOの事故後、10年間に渡り撮り、取材続けた。そこには町の人々が口に出来ない思いが存在している。写真は私たちに語り かけてくれる。
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Kemonomichi
¥4,180
小林紀晴写真集「Kemonomichi」 2013年1月発行 3,800円+税 上製本/写真89点 サイズ 253x259x10mm 出雲から諏訪に神がやってくる以前、ミシャグチという土着の神が存在していた。 さかのぼれば縄文文化が繁栄していた。 出雲からの神、ミシャグチ、縄文。 この3つが諏訪湖と、屏風のように立ちはだかる八ヶ岳のあいだで、いまも蠢いている。 けっして過去のものではない。ときに、それらの力をひしひしと感じる。 何かをきっかけに、日常を乗り越え、忽然と姿を現し、ひとつになる。 その瞬間を、私は待つ。 やがて、目の前に、容易には見えなかった一筋の道があらわれる。 私はその奥へ、深く分け入ってみた。
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地図を歩く
¥4,074
神田開主写真集「地図を歩く」 2014年6月発行 3,704円+税 上製本/写真70点 サイズ 297×298×20mm 北関東の地で暮らす中で培った目と感覚で、場所と場所とを繋ぐ境界のような、そんな光景を探し歩いては撮り続けてきた。 見慣れた景色の中にジッと佇んでいると、今まで気づかなかった場所のうつり変わりや、当たり前のようにそこに在ったものの姿が浮かび上がってくる。 都会とはまた違う時間の流れの中で、いつとも知らずその営みは変わっていき、静かに姿を変えていく景色のさまは、見知っていたはずなのにどこか遠くまで来たような、そんな錯覚さえ想い起こさせる。 景色は移るともなく移りかわり、近づき過ぎれば浮き足立ち、離れ過ぎればどこか遠い出来事のように現実感が薄れてしまうその合間を、縫うようにして歩をすすめていく。 驚くほどにきれいな景色が広がっているわけでもなければ、深く刻み込まれた歴史の片鱗を感じさせるものでもない。 自身の在所を探し歩き、場所の成りたちを見つめながら、とり留めない景色の中にいつの日かの故郷の姿を重ね合わせて、歩いた足跡をかたち作っていく。
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壁 Looking Intently
¥3,300
神田開主写真集「壁 Looking Intently」 2016年8月発行 3,000円+税 上製本/モノクロ写真34点 サイズ 250×199×13mm / 560g 心細いまでの人の気配を辿っていった先に現れる白い壁の姿は偉容であり、 例えようのないくらい異質である。 壁の上に立ち境界のみをじっと見つめていくと、ダムという場所ができた ことで生まれる特異な光景が立ち現れてくる。 きっかけは水面の底に沈む古い生活の残滓を目の当たりにしたある夏の ことだった。 真夏の炎天下に立ち上る水蒸気によって揺れる景色は、かつて水底へと 沈んだ村々の名残すら露わにするようで、様々なものが再び浮上してくる ような感覚は、水面という名の結界が少しずつ解れていき、過ぎ去った景色を 呼び戻す蜃気楼となって揺らめき立っているようでもあった。 干上がった湖岸を踏みしめ、水の底へと沈む村を歩き廻り、浮上してきた過去の 名残を垣間みて、いつしかこの場所をつくりだす水と壁の存在に惹かれるように なっていった。 ____ コンクリート製の壁面の袂には静かで果てしない世界が広がっていた。 そこでは流れる時間がどこかゆったりとしたものに感じられ、井戸の底を 覗き込むような静けさと、仄暗い水の底から滲み出ては消えていく気配が、 そこへの興味をより一層濃いものへとしてゆく。 満々とゆらめく水面は複雑に反射し、時折その中に息づき眠るものが雲の ように漂い出ては流れ去っていく。 その様は重力の支配から解放されたどこか別の空間か、明と暗のコントラストに 照らし出された舞台の上の出来事のようにも感じられる。 自然と人間、それぞれがつくりだす対照的な光景に惹き付けられながら、 ダムという場所がもつ不可思議な成り立ちへのアプローチを続けている。
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Máni
¥3,850
北桂樹写真集「Máni」 2016年2月発行 3,500円+税 上製本/モノクロ写真67点 サイズ 310×238×13mm / 780g 街灯というモチーフに興味を持ち始めたのは 3.11の直後にあった計画停電の時だった。 その当時夜になっても光を灯さず街に佇む街灯を見上げた時、 その個性的な姿はまるで電気の死顔を形どったデスマスクのように 私には思えてならなかった。 それ以降、この街灯というモチーフに否応なく惹かれた私は、 家族、友人、世話になった人、かつて思いを寄せた人たちなど 自身に影響を与えた私の人生のペルソナ(登場人物)たちを重ね合わせ ポートレートとして無心に撮影していた。 今思えば大切な人たちを失うということが どういうことなのかと考えていたのかもしれない。 * Máni(マニ)とは、北欧神話の月の神のこと
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瀬戸内家族
¥3,630
小池英文写真集「瀬戸内家族」 2017年1月発行 3,300円+税 上製本/カラー写真67点 サイズ 200×225×14mm / 500g 瀬戸内海に浮かぶ小さな島で妻は生まれ育った。 夏休みと正月は東京を離れて彼女の島の実家で過ごす。それがぼくら家族の毎年の決まりごとになった。彼女の実家を訪れるようになって改めて気づいたのは、家族もまた風土によって育まれるということだった。 自分たちを取り巻く自然が日常と地続きであること。それを謙虚に受け入れてこそ幸せな暮らしが続いてゆくこと。四世代がともに暮らす家のなかには、彼らのそうした想いがしっかりと息づいているのが感じられた。それが子どもだった頃の妻にとって、世界への信頼感をどれほど育んだことだろう。 いま、彼女は母親となり、島の暮らしを子どもたちに伝えるようになった。 生きることを肯定するまなざしを、世界が信頼に足るものだということを、彼女はうまく子どもたちに伝えることができるだろうか。 ある日、そんなことをぼんやりと思いながら瀬戸内の海を眺めていたとき、幸福感を肯定する家族写真が撮りたい、という想いがふっと湧いてきた。 この本のなかにひとつの幸せの形が垣間見えるとすれば、それはぼく自身、「瀬戸内家族」の一員としてようやく彼らの方に一歩近づくことができるようになったからなのかもしれない。
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SLがいたふるさと -北海道1973~1980-
¥2,750
齋藤亮一写真集「SLがいたふるさと -北海道1973~1980-」 2013年10月発行 2,500円+税 上製本/写真102点 サイズ 238x207x15mm 国内で最後まで蒸気機関車(SL)が走っていたふるさとの北海道で、そのSLが営業運転を終了したのが1975年12月。私が高校2年生のときでした。 このエネルギー政策の大転換で、日本そのものも新たな方向に大きく舵を切ったように思います。 そして今ずいぶん遠いところに来たなあという感慨を抱きます。 今一度そんな頃の北の人々の日常を振り返り、来し方行く末に思いを馳せていただくのもよい頃かなと思いました。 好評につき絶版となりました。ご希望の方は著者に直接お問い合わせください。
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ふるさとはれの日
¥4,180
齋藤亮一写真集「ふるさとはれの日」 2015年6月中旬発行 3,800円+税 上製本/写真79点 サイズ 194x268x15mm 古来日本人は「ケ」(日常)と「ハレ」(非日常)のめりはりを生活に上手に織り込んで生きてきました。 「ケガレ」(ケ枯れ)は気力がなくなった状態で、祭りはその萎えた気力を回復させる命の再生の場という考えもあります。 地方は今たいへん厳しい状況におかれています。そんな中でも祭りの日には、ふだん静かな町に大勢の人が集い、華やいだ空気に包まれた幻のふるさとが蘇ります。人々の生き生きとした姿を見るにつけ、祭りがみんなの大切な心の拠り所になっていることを感じます。 何もかもが変わっていく時代に、変わらずにあり続けてほしい日本人の心のふるさとを探しに各地を訪ねました。
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森の襞
¥3,080
志鎌猛写真集「森の襞」 2007年5月発行 2,800円+税 上製本/写真30点 サイズ 267×377×12mm 近代といわれる以前の人びとは、森に対していまでは想像のつかないほどの畏敬の念を抱いていた。 近代になって、そのことをわたしたちはすっかり忘れてしまったが、近代以前に、わたしたちの祖先が森に対して畏敬の念をいだいた理由の一つが、森は豊饒で生きるうえでずいぶんと助けられたからであろうと思われる。 志鎌猛のこの写真集には、英文のタイトルがSilent Respiration of Forests と付けられているが、写真集の内容からしたら邦文よりこのほうが的確である。 つまり、 silent respiration が森には満ちているということである。それはまた、森の神秘性の別の表現でもあり、森はいつも静かに息をしている。 すなわち、森は生きているわけで、写真集からそのかすかな声が聞こえてくる。写真家には、その声がよく聞こえていたのである。
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無常無我
¥3,520
清水公代写真集「無常無我」 2004年1月発行 3,200円+税 上製本/108頁 サイズ 264×247×17mm 1998年林忠彦賞受賞写真家。平成11年より特別 養護老人ホームに通い、表情に刻み込まれた人生を通して「老い」を見つめ「生きる」を問う。
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サボテンとしっぽ
¥2,860
白石ちえこ写真集「サボテンとしっぽ」 2008年9月発行 2,600円+税 上製本/写真52点 サイズ 200×264×12mm ぎゅうぎゅうの満員電車に揺られながら、車内に漂う空気が目に見えたら面白いだろうな、とぼんやり妄想していた。 水族館の水槽の中でサカナたちが身をひるがえすたびに、水がゆらゆら揺れるように、閉ざされた箱の車両の中で、人のかすかな息が混じり合い、空気の流れが波動となって伝わっていく。 メダカのように、クラゲのように、人のカラダも透けていたら、人間関係もまた違った風になっていくのでは、とも思ったりした。 それからしばらくして勤めを辞め、あちこち旅をするようになった。 旅先でいつも目の前に現れたのは、煙突やサボテン、トタン塀や電信柱やアロエなど、町の片隅でしずかに深呼吸する古びた建物や、ちょっとしたぼけたモノたちだった。 そんなモノたちに、道案内をしてもらいながら歩く目的地のない散歩は、気持ちがほどけてゆくようで、さわさわと気持ちよく、まがり角を曲がるたびにわくわくした。 そこでは虫も草も魚も花も、生命のあるものもないものも、音も無くにぎやかにうごめいていて、はじめて来たのにどこか懐かしく、知らないのに知っているような、不思議な感情がやってくるものだった。 ほころびた景色の中で、迷って道がわからなくなったときも歩き続け、どんどん町からはぐれていった。 明るく、はぐれてしまったのだった。
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Beyond
¥4,400
城林希里香「Beyond」 2010年3月発行 4,000円+税 上製本/写真35点 サイズ 310×327×17mm 円と縁 地球がまるいと知ったのはいつのことだっただろう、未だその事実が私を魅了する。いくつもの点がつながり、線になり、その線は円を描く、始まりもなければ終わりもない線。今私がいる場所もこの地球の一点である。 (中略) Linesという作品製作を始めたころから、いつかこの作品で写真集をつくりたいと思っていた。その後とりつづけたLines, Beyondという作品と両方の中から抜粋し、今回のBeyondという写真集に仕上げた。いままでの写真作品のまとめというもではなく、私にとって本と いう媒体を使ったひとつの表現方法として、タイトルもあえて、Beyondとした。
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民謡山河
¥5,500
須田一政写真集「民謡山河」 2007年11月発行 5,000円+税 並製本/写真202点 サイズ 195×260×16mm 1978 年から2年間日本カメラで連載された「民謡山河」をまとめた写真群。 著者が故・田中雅夫氏(写真評論家)と共に「民謡・祭り」を主題に日本各地を巡り撮影した写真から、 祭りという非日常性の中での人々の姿、そして日々の暮らしの中での姿が次々に浮かび上がってくる。
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ニライ
¥3,300
染谷學写真集「ニライ」 2010年2月発行 3,000円+税 上製本/写真74点 サイズ 267×260×15mm 沖縄を中心とした琉球の島々では、海の彼方にはニライカナイと呼ばれる、人間の住む世界とは別の世界があると信じられてきました。島の祭を見ると、このニライカナイからは幸福や豊穣をもたらす神が訪れると考えられていることがわかります。しかし、一方ではそこには悪しきものや災いをもたらすものが住むという伝承 もあるのです。複雑なようですが両者は矛盾する考えではありません。民俗学者で歌人でもあった折口信夫という人は、ニライカナイは死んだ人の魂が向かう場 所だということを書いていますが、わたしはこの考え方が好きです。わたしも海を眺めるとき、いつもそこに自分の魂の行く世界を幻視してしまうのです。 しかし、この写真集でわたしは、わたしたちの生きているこの世界そのものにニライカナイを見ようとしています。それはわたしたちの生はあまりに不確かであり、繰り返される日常のなかで、魂は常に海を渡り続けているからです。
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長春2006-2015
¥4,950
筋野健太写真集「長春2006-2015」 2016年7月発行 4,500円+税 上製本/カラー写真91点 サイズ 260×267×16mm / 920g 中国吉林省長春市。10年前の夏、乗っていたタクシーが不意に大通りをそれた。 渋滞を避けて裏道の小さな通りを進むと、黄土色の古びた建物が立ち並んでいて、 人々のにぎわいがあった。ここはかつての満州国の首都、新京の日本人街跡 だった。戦後日本人が去り、主に山東省から長春市に入ってきた人たちの街に なった。 しかし僕が訪れたその頃には、もうすでに取り壊しのカウントダウンに 入っていた。戦後ずっと住み続けた彼らは「私はこの家で生まれ、育った」 と胸を張って言った。建物も人も自然の摂理のように、新たなものへと 代わっていく。それらが繰り返され、土地の歴史がつくられていく。 それは仕方のないことだ。 それでも僕は失われゆくこの街に、身体を置き、往時の日本人たちに思いを はせ、住民たちと同じ時間を共有したかった。そうすれば、自分の存在を確認 することができた。逆にそうしなければ自分の心は、スカスカだった。 街が壊されていったある日、僕は蓮の花を持った男を見かけ追いかけた。 交差点で立ち止まったので、花のにおいを嗅ごうと、のぞき込んだ。 しかしそれは造花だった。
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風のわらべ
¥2,095
髙橋あつこ写真集「風のわらべ」 2005年5月発行 1,905円+税 サイズ 200x152x12mm
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音楽
¥2,750
田口順一写真集「音楽」 2013年7月発行 2,500円+税 上製本/写真36点 サイズ 263x198x13mm
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ガンジス
¥3,300
武田充弘写真集「ガンジス」 2014年1月発行 3,000円+税 上製本/写真65点 サイズ 208×232×14mm ガンジス川は、ヒマラヤ山脈南麓の氷河を水源とし、北インドの平野を流れ、ベンガル湾に注ぎます。全長2500km、標高差4000mの大河です。 私は2007年から2013年の間に、源流から河口まで、4回この川を下りました。川沿いで暮らす人々や動物達の、生きるリズムに惹かれたからです。 ガンジス川は、現地では「ガンガー」というヒンドゥー教の女神の名で呼ばれています。川そのものが聖地となっていますので、日々至る所で宗教的行事が行われています。しかし私はそれらをほとんど撮影せず、彼らの営みにのみ目を向けました。 また、この川の本流は、最終的には隣国のバングラデシュへ流れて行きますが、私はあくまでインド内のガンジス川にこだわりました。 人々も動物達も川も風も大地も太陽も、それぞれが思いのままに生き、すべてが違和感無くとけ込んでいるように感じました。 きっと今日も、そこへ行けば彼らのリズムに出会えるはずです。 武田充弘
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游ぐ太陽
¥2,310
田中亜紀写真集「游ぐ太陽」 2010年4月発行 2,100円+税 上製本/写真53点 サイズ 135×195×10mm 太陽は生命の源であり、希望、幸せ、未来、そして、生きる喜びを私に感じさせてくれます。 2002年、私が撮影した沢山の写真に写る太陽に出会い、いつも光を目で追いかけている自分に気づきました。以来、今私が感じる目に見えない何か—香り、 音色、ぬくもり、苦しみ、喜び、悲しみ、不安、痛み、優しさ、希望、記憶のような、目眩いのする何かを太陽と光で、写真に写し取りたいと思うようになりま した。
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1/fの太陽
¥2,310
田中亜紀写真集「1/fの太陽」 2011年4月発行 2,100円+税 上製本/写真52点 サイズ 135×195×10mm 晴れた日は、澄んだ空を見上げて、 そこにあるはずの太陽を探す。 一番よく見上げるのは日本の秋空。 鮮やかに朱色にそまる澄んだ空気の中、 太陽の日差しにつつまれると、とても気持ちがよい。 輝く暖かい日の光、木々のざわめきやその香り、 風のささやき、澄みきった空気。 身体をとりまく全ての波が 私を温かい気持ちにしてくれる。 風、水、火、音、光、太陽。 そして人にも、ゆらぎは存在するという。
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多摩景
¥4,180
田中昭史写真集「多摩景」 2005年8月発行 3,800円+税 上製本/写真62点 サイズ 267×260×19mm 1988 年~2005年までの作家のホームグランド とも言うべき東京の郊外、多摩地区を撮り続けた。著者は言うまでもなく「ニコンギャラリー」のキュレターとして活躍、多くの作家の作品を見てきている。あんがい鮮麗された構図はそのへんから来ているのかもしれない。アマチュア写真家には大変参考になる写真集。
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大切ないつもの暮らし
¥3,080
田中由美子写真集「大切ないつもの暮らし」 2012年4月発行 2,800円+税 上製本/写真53点 サイズ 238x207x12mm 2011年3月11日、あの地震は起こりました。私は職場(東京都中野区)のギャラリーの受付に座っていました。窓からは午後の穏やかな日の光が差し込み、数名のお客様が来廊されていて、それまでは平穏な時間が流れていました。午後2時46分、ぐらぐらと地震が起こり、最初は、たまにあるような軽い地震かと思っていましたが、揺れが強くなり、しかも長い時間揺れて、書籍スペースに置かれた本の一部が飛び出して床に散乱し、私は外に逃げるべきかどうか考えながらも、何もできず立ち尽くしている間に、最初の強く長い地震は収まりました。その後も余震が続き、電車は止まり私は帰宅困難となり、翌日やっとの思いで自宅(神奈川県川崎市)に辿り着きました。ニュースで被災地の惨状を知りあまりの酷さに驚愕し、福島第一原子力発電所の事故に言葉を無くしました。スーパーからは食料品や水が無くなり、電力不足による計画停電が始まりました。ついさっきまで平穏に暮らしていたのに、一瞬にして、本当に一瞬にして、多くの人が普通の暮らしを無くしてしまいました。いとも簡単に。被災地の方々の状況は、これとは比べ物にならない、言葉では言い尽くせないほど過酷なものだと思います。この東日本大震災をきっかけに、普通に過ごせることの大切さを一段と強く感じるようになりました。
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砂界
¥3,300
千村明路写真集「砂界」 2012年9月発行 3,000円+税 上製本/写真62点 サイズ 300x220x12mm 2011年3月11日…あの大震災による津波で幾多の物が破壊され、多くの命と共に海へと流れた。私が足を運び続けていたその海岸にも、明らかに被災地のそれと判るかつての人の営みの影を背負い込んだ物が残骸となり打ち寄せ、その忘れられない日から一年が経とうとしてなお、冬を迎え、北風が吹く度潮流の変化から震災直後よりもさらに多くの名残が、今もその姿を露にし続けている。 けれどもそれは私にとって決して特別な存在ではなかった。震災による破壊という口実がその姿を何一つ正当化はしなかった。私のレンズは今までと同様に、新たに浜辺に辿り着いた物に向けられるだけだった。それまでに在った物と、震災で漂着した物…その両者に一体どんな違いが有るだろう。紛う事無きはただ、それが私達が拠り所とする社会と法から放り出され、顧みられる事なくそこに在る、その事実だけなのだから…。 ガンジス河の砂の数程に、無量無数に在る世界…仏教では『沙界』と呼ばれる思想。 私がレンズを通し視つめて来たのは、海の粗砂と物質が織りなす世俗に塗れた、思想よりなお即物的な『砂界』とでも呼ぶ物語。 その横たわる物達が語らうのはそれを生み出した、私達一人一人が内包する、心という世界が重なり合い紡ぎ出す、『社会』という営みの本質なのかもしれない…。
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月の棲家
¥3,850
秦如美写真集「月の棲家」 2002年10月発行 3,500円+税 上製本/写真74点 サイズ 236×286×12mm 在日コリアン二世の、夫が「北」筆者が「南」の家族三世代。74点の写真と言葉が紡ぐ家族と著者の記憶と記録。 そして三世代目である娘に宛てたメッセージ。